やれやーれの日記

やれやーれの育児、読んだ本等の雑記です

流産した話

Tちゃんにはきょうだいが必要だな。ある日ぼんやりと思いました。

私は仕事しながら家事やって日々遊び相手になる時間があまり取れず。

休みの日は一緒にいられるけど、同じ年かさの子をじっと見ているTちゃんを見て日に日に思いが強まりました。


夫に相談して、子作りを始めました。

Tちゃんの時は妊娠まで8ヶ月かかったため、そのうちできたらいいなあと思いながら。。

翌月、妊娠しました。

すっごく嬉しかったけど時間かかると思ってたから拍子抜けしました。


夫に報告したら心の準備ができてない、金がないとかなんとか言われ。

自分も子作りしたやん。と思いました。

そんなこんなで産婦人科に通ったのですが、3回目の通院時に赤ちゃんが育ってない。処置した方がいいと言われました。

しかも私は高血圧なのでここではできない。大きい病院に行ってくださいとなりました。


紹介状を持って呆然と過ごしました。とても処置しに行く気持ちになれなかった。。

1週間くらいしたら出血し始めました。次第にじゃんじゃんドバドバ固まりが出始め、腹痛もひどくなり、紹介先の病院へ。

経過を先生が診て、処置はせず痛み止めを飲みながらそのまま完全流産させることになりました。

1日入院して、退院した翌日から出勤しました。


入院中はお腹が痛くなったり収まったり。

トイレで固まりが出ると、看護師さんが胎嚢ではないかチェックしてくれました。

途中で看護師さんに「またフォアグラ出たら教えてくださいね」と言われたのが悲しかった。フォアグラ。。


もう赤ちゃんも何もかも出尽くしてしまったのかな、、と思った頃、生理痛のとんでもないバージョンの痛みが来た。

これまでにないお腹の痛み。胎嚢が出るんだってすぐわかった。

赤ちゃんは、ずっと私のところにいてくれたんだってわかった。

全身の震えと涙が止まらなくなり、激しいお腹の痛みとともに胎嚢が出た。


胎嚢をすくい上げて泣き続けた。

ちゃんと産んであげられなくてごめんなさい。

また私達家族のところに来てね。

そんな風に祈って看護師さんを呼びました。

その後は出血も痛みも落ち着きました。


Tちゃんが生まれてから初めての離れ離れの夜。

こんな形で、、とも思ったけど久々に1人の夜だから、とゆっくり過ごしました。

夫の実家でTちゃんは良い子で過ごしていたみたい。

夜は「まま」「まま」と繰り返して泣き疲れて就寝したそうな。


自分の母にも電話したけど、私は流産したことないから気持ちに寄り添うことはできない。お腹の子も私もかわいそうだと思うけど仕方ないね。と言われた。

母らしい慰め方だった。

夫の母は私が病院に行った時にはすでに駆けつけてくれて、子供をみてくれたり、入院中も夫と子供を実家でお世話してくれた。

義母も流産したことがあると話して気持ちに寄り添ってくれて嬉しかった。


妹や親しい友達には話していたのでめっちゃ泣かれてしまった。

私も悲しいけど、やはり流産の話は公にしてはいけないのかな。

もっと知ってもらっていいことだと思うんだけど。


胎嚢は病理検査された後にもう一度会えました。

引き取ることはできないって言われた。

退院後、一週間後と一ヶ月後に通院して終わりました。


これが半年くらい前の話で、今また私は妊娠しました。

が、2日前から腹痛と出血が続いて再び流産してしまいそうです。

本当ならよかったよかったみたいに締めくくりたいところですが、現実は渋いな。


この記事を書いたのは、私自身が流産しそうな時に流産経験のブログなどをたくさん読んだから。

自分の体験を綴ることで、どんなことが起こるのかを追体験できる方がいるのではないかと考えて。

あと、私はどれだけ経っても胎嚢をすくい上げた光景から離れられない。

文章に書き出すことで気持ちに区切りを付けられたら。と思いながらなかなか書けなかった。


結局また胎嚢をすくい上げかねない事態になってしまって、、本当にダメだなあ。

今月上旬に骨折してたし、仕事も忙しくていろんなことがまずかったと思う。

今は安静にしてなんとかお腹の子が成長してくれるのを祈るばかりです。


今週のお題「#激レア体験」として投稿します。

流産は全妊婦の15%は起こるため、激レアではないと思うけど。。

読んでくださってありがとうございました。